近代和暦について。慶応 明治 大正 昭和 平成

2013年4〜7月のあいだ、商工会&商工会議所のアプリケーションの開発に携わりました。そのシステム設計を担当した際、この団体が近代日本の企業の発展の歴史に大きく関与してきたのだと感じました。その案件にかかわったおかげで、近代和暦の扱いに詳しくなれましたので、まとめておきます。

明治について
1868年10月23日に明治天皇が正式に即位しました。慶応四年九月八日のことです。
普通に捉えるとこの日を境に明治元年となると思ってしまいがちですが、少し違うのです。明治天皇はこの時、『暦を遡って一月一日から明治とする』と定めました。そのため慶応四年はなかったことに。たいへん古い商店によっては創業年を併記している場合がありますが、こういうことだったんですね。

太陰暦→太陽暦へ
明治五年一二月三日、その日が明治6年1月1日となりました。
改暦が発効されて施行までわずか23日後だったので、人々は慌てふためいたのは想像に難くありません。

大正について
1912年7月30日(明治45年7月30日)に大正天皇が即位され、大正元年7月30日になりました。
日本の法律、明治45年7月30日も大正元年7月30日も同じ日として存在します。

昭和について
1926年12月25日(大正15年12月25日)に昭和天皇が即位され、昭和元年12月25日になりました。
日本の法律、大正15年12月25日も昭和元年12月25日も同じ日として存在します。

平成について
1989年1月7日(昭和64年1月7日)昭和天皇がお亡くなりになり、その日元号が「平成」になると発表がなされました。それまでの慣例通りではなく、色々な大人の都合もあって翌日施行され、1989年1月8日に平成元年1月8日となりました。

年号を自動計算して返還することのむずかしさ
昭和元年が8日しかなかったり、昭和64年が7日しかなかったり、明治と大正、大正と昭和という違う元号の同一日が存在したり、慶応4年が消えてなくなったり、閏月の変換が明治初期に必要だったりと、西暦と和暦を自動変換するプログラムを書くのは非常にめんどうくさいです。

近代日本のアイデンティティ
暦を振り返り激しい動乱の時代が長く続いていたことを実感し、バブル期に成人した私としては、ここ20年(2012年時点)経済成長がなかった半面、日本は安定と成熟期を過ごしていたと言えると思います。

組織も文化も年を重ねて大人になると感じているのですが、ということは、そろそろ大人の見方、考え方、価値観を踏まえて振る舞う時期がきたと考えます。

いけいけどんどんの若い価値観ではなく、回りをよく見て、他の人の福祉に資するような(お金ばらまいて甘やかすのではない)一回り大きく丸くなった大人の風格を漂わせる振舞いをすればいいのではないかとつくづく思うのです。