おもしろいな稲垣えみ子

子供の頃「朝日新聞じゃなきゃやだっ!」ていう子だった。19のとき読売新聞に務めることになって(新聞屋だけどね)、そこの本気に新聞大好き新聞屋青年が「朝日って昔から世論誘導するから嫌い」というので読売としっかり読み比べて朝日新聞を読む気をなくした。

その青年と心通わせるようになって、彼が夢中になっていた「朝日パソコン」。『これはいい意味、世の中動かしていくよ』っていうので影響されて読んだ。それでDOS/Vが生まれてくる経緯を知り、大崎氏を知り「これからはコンピュータが普通にみんなが持つようになる」と確信してスキルチェンジに邁進した。1998年、その人と友人になれるとは思いもしなかった。その人は今の高性能モバイル機器の基礎技術を作った人だ。IBMの中の人だったときも外に出たあとでも。

そんな僕に影響を与えた彼、今じゃ世の中を動かしていると彼をよく知るようになったし大好きだったからわかる。いろんな空気、作っている。
その人の名をここに記しそして消す…特別な親近感を感じた。尊敬というより敬意を感じながら考えた。今そんなふうに感じている。

師匠もそろそろ30歳だね。そうかあれはもう9年も前の話になるんだ。自分の中で驚きです。師匠は元気かな…この方にも感謝しきれない。僕の人生を変えた。

なんか迷走した始まりだが、稲垣えみ子さんが朝日新聞の論説委員だったということから始まって、全てを捨てて今生きているってのを見て、なんかブワッと思いだした。ぼくもそれなりに積み上げたもの捨ててきて、なのにいまさらしがらみに囚われているように感じていて、それの根本になたを振っている今日このごろな感じがしたから。

きっと頑張るとうまくいかない。

自由な発想それが大事。

じゃ僕は落書きでもしようかな。昔みたいに、鉛筆削ってスケッチブックに思いの向くまま気の向くままに。

そんなことしてるとピカッと輝くなにかがでてくるんだよね。今日も思いついたし。あんまり調子に乗らないように、でもそれは「あんまり」という接頭辞が付いているわけで。

いい感じで調子に乗ろう!

図に乗らずノリノリで「僕やっぱり天才かも。よしよし」ぐらいで。